女友達のことが羨ましすぎてたまらない時の対処法
卒業、就職、結婚…など状況が変わってくると、友達と金銭感覚や話の内容が変わってきて戸惑うことはありませんか?
私は少し前まで、女友達との関係で悩みがありました。
記事のタイトルは「羨ましすぎてたまらない」と書きましたが、別の言葉で言うと「嫉妬」です。
私は素敵すぎる友人たちの人生を羨ましがり、大学を卒業してから今まで、みんなには仲良くしてもらいながらも、モヤモヤした気持ちを抱き続けてきました。
しかし、ある時転機が訪れ、心が一気に軽くなったんです。
どんなことにモヤモヤしていたのか? 転機とはどういうものだったのか? を振り返ります。
大学時代の友人への嫉妬
私は大学は縁あって国立大に通うことができ、大学では自分にはもったいないくらいの素敵な友人たちに恵まれることができました。
その時にできたかけがえのない友人たちは皆、大企業で立派にかっこよく働いています。
- 企業名を聞くだけで誰もが分かる、大企業で働く友人たち。
- 高収入を得る友人たち。
- 高学歴で高収入な彼氏を持つ友人たち。
私は自分の今の生活に不満があるわけではありません。
今の仕事は自分に合っていると思いますし、私のことを大切にしてくれる今の夫と出会うことができ、満足しています。
しかし、「家賃20万円のマンションで彼氏と同棲する」とか、友人たちの近況を聞くと、「大学時代は同じ目線でいたと思っていたのに、今ではすっかり上に行かれてしまったなぁ」などと悲しい気持ちになる時があり、また彼女たちのことを心から羨ましいと思いました。
1社目の会社の同期への嫉妬
私は今までに2度転職しているので、1社目の会社(新卒採用してもらった会社)という表記にさせていただきました。
新卒採用では、IT会社のSEとしてお世話になりました。
職業柄、システムトラブル時は夜間対応がありうる職であり、日々のストレスもなかなかのものでした。
結婚を機に給料を切り捨て、緊急呼び出し・夜間対応がなく、胃痛で悩まされることのない日々を得たのでした。
私は自分で考えた結果、今の環境へと切り替えたわけですが、1社目で今も働き続けお金に余裕のある同期を見ると羨ましく思いました。
「隣の芝生は青い」とはまさにこのことです。
身勝手なことは自分でも承知しています。「なんで他人と自分を比較してしまうんだろう」と自分の比較癖を呪うこともありました。
転機は大学の友人の結婚式
大手出版社に勤める友人が先日、結婚式を挙げました。
結婚式はとても豪華で、漫画家さんたちの絵入りのお祝いコメントが載せられた冊子も頂きました。
私はこのような素敵な結婚式を開くことができた友人の、今までの日々の努力に尊敬の念を覚え、また式に呼んでくれたことに感謝しました。
不思議なことに、嫉妬の思いは少しも抱きませんでした。
よくよく考えてみると、私は彼女に妬みの思いを感じたことは今までにありませんでした。もちろん「いいなー」ぐらいの思いは少しは思いますが。
嫉妬と尊敬の違いは何か
嫉妬と尊敬は似て非なるものだと思います。
いくつかのインターネットサイトを参考にさせていただき、嫉妬と尊敬の違いについて私は以下の結論を出しました。
- 嫉妬…社会的な肩書きやステータスに対する思い
- 尊敬…人間性に対する思い
結婚した友達は社会的なステータスももちろん立派ですが、私はそれ以上に彼女の人間性にずっと憧れていました。
疲れていても明るく振舞い、「まだまだやれるよ、これからだよ」と笑顔で励ましてくれる彼女の姿勢が好きでした。
一方、私が今までに不特定の友人たちに嫉妬してきたことは…
(列記してみるととても恥ずかしい事柄なのですが…)
- 友人の旦那さんが高収入
- 彼氏 or 旦那さんがイケメン
- 旦那さんの家がお金持ち
- 長期休暇を簡単にもらうことができる職場に勤めている
- 仕事の拘束時間が短くて楽なのに、高収入
- 結婚してすぐ子供ができる
悩んでない時に読み返してみると、「なんでそんなにモヤモヤしていたんだろう」と不思議に思います。
妬む時はその人の人柄をちっとも考えてはいないんだと気づきました。
今は、人のステータスにばかり目をとられるのではなくて、その人の中身を大事にしています。
その人の中身を見て、どうしても尊敬ができない場合は……
これ以上友達を続けなくていいかな、なんて考えています。極端ですけど(笑)
妬みの気持ちだけくれる友達なんていりません。モヤモヤの少ない、心乱されない人生を送りたいものです。
最後までご覧くださり、ありがとうございました。
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